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忌中の過ごし方:断捨離で心静かに過去を振り返る

 2018/03/13 くらし この記事は約 6 分で読めます。

こんにちは!じゃすです。今日もいいお天気ですが、あなたの地域はいかがでしたでしょうか?シリーズ【忌中を過ごす】第三回目の今日は、断捨離編です。(←いつシリーズ化したのさ?笑)

このシリーズでは、※ 親の忌中(きちゅう):親が亡くなってから仏教で49日、神道では50日をどんな風に過ごすのがいいのかを考えます。

昔は法律で忌中の過ごし方や禁止事項が決まっていたそうです。現代ではそんな縛りは無くなっていますが、一応世間一般で、できるだけ控えたほうが良さそうなことを抑えつつ、私が実際に行なった過ごし方を書き留めておきますね。

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古い写真を断捨離中

今日も1時間ほど古いアルバムの解体をしました。断捨離といえどもそこまでりきむことはありません。毎日少しずつ段階を踏んでやればいいんじゃないか~って思います。

フエルアルバムというのがあって、ページがいっぱいになったらネジを買い足して、ページも増やしていける商品を使っていました。だからわたしのは通常のアルバムより分厚いし、重たいしで確かに負担になっていました。

引越し回数が半端ないため、一度もアルバムのダンボールを開けることなく大事に取っておいた写真たち。最近では写真はデータ化されたために、増えることはなくても減ることもなかった大量のプリント写真。

今月葬儀を終えた母親の写真も、葬儀後当日に大げんかした父親の写真もアルバムからペリペリ剥がしてゴミ袋に入れています。特に悲しいなどの執着はなく、母も一緒にこの写真を見ているかのようで、懐かしいよね~という気分で作業しています。

あの頃自慢だった母、あの頃も嫌いだった父。そんな思いだった過去の自分。。。昔の写真を見れば当時自分がどんな気持ちだったかまで蘇ってきます。

だからどんなに笑顔で写っていても、過去の自分の本心が伝わってくるから捨てるのです。

毎日徐々にやってますが、相当な量の写真が処分対象になっています。けれどもやはり捨てられない写真もまだまだあるのが現状です。

それも無理してゴミ袋に入れることはありません。棚に捨てられないものは一時保留しています。そしてまた時間が経って翌日何気なしにその保留写真をまた見ている自分。。。

「やっぱりこれもいらないか~」それでまた処分対象になる。といった具合です。あれもこれも取っておこうとするけれど、翌日あらためて見ますと、大して写りが良くなっかったり、あまり好きではなかった友達が写っていたりします。それでこれもいらないなとなるわけです。

葬儀前日と当日で心変わりした父

伴侶であった母親が亡くなって、父親は遺品整理を頑張ってたようです。母の部屋はまぁだいぶマシに片付いてはいました。けれどもリビングの棚の中にまだまだ不用品がどっさりありました。

姪っ子の赤ちゃんの頃からの不用品もごちゃまぜだったため、父親はわたしに「ここにあるものは全部捨てるぞ!」と言い出しました。それが葬儀の前日(通夜当日)ですよ。

よしよし、やっとその気になりましたね、と内心喜んでいたわたしですが、姪っ子が通夜会場に行って不在だったため彼女の所有物は一旦紙袋に分けました。

それを見た父親は「そんなことをするからまた片付けないんだ、全部全部捨てるんだ!」と言い放ちました。母親が死んで自分でも区切りをつけたくなったのでしょう。その気持ちわかるし、いい傾向だなと思いました。

それでわたしがホコリまみれになりながらも、次々に分別してゴミ袋に入れていったわけです。手は荒れるし、腰は痛くなってくるしで結構な疲労感。でも実家が片付けばわたしもウレシイですし頑張りましたよ。

けれども翌朝見ますと、父親が昨日のゴミ袋からプラスチックの置物や姪っ子のおもちゃ、カラの貯金箱などをゴソゴソと出しているではありませんか。

じゃす:「何してるの?」
父:「これは思い出の品だから・・・・」
じゃす:「アレ?全部全部捨てるんじゃなかったの?」
父:「これは取っておく・・・」

前日のあの勢いはどこへ・・・笑 その様子を見ているであろう母も呆れていたでしょうね。まぁその性分は今日に始まったことではありませんから片付けも一時的なものであって、またすぐに実家がモノであふれかえるのは想像がつくってものです。

断捨離と片付けは根本が違う

一時的な片付けはまたすぐに元の状態に戻りやすいといいます。一方の断捨離はやり方ではなく、その人の在り方からくるものなので元の状態に戻ることはありません。

意識が進化したからです。意識が進化した上でモノと向き合うと、執着していた物質や過去に未練はなくなるためにスパッと捨てる(手放す)ことができます。

だから、勢いで捨てることもなければ捨ててしまってからの後悔も無いということです。わたしの友達が過去の写真を昨年全部捨てたそうです。けれども捨てた後に「やっぱり取っておけばよかった~」という気持ちになったそうです。

だから当時捨てられなかったわたしに、「捨てるのは一瞬でできるんだからよく考えたほうがいいよ」とアドバイスしてくれました。

昨年の段階ではわたしも断捨離や意識進化を深く理解できていなかったため、「そっか、やっぱり写真は捨てられないな」と思い、結局年末の引越しでも分厚いアルバムは減ることがなかったのです。

後悔するのは断捨離と言わない

今思うとその友達は後悔しちゃったわけですから、本人は断捨離した気分でも本当の断捨離ではなかったと思うんです。ただの勢いです。後悔を感じる地点でモノや過去への執着があるのですから。
中途半端な偽の断捨離もどきは後悔とセットだと思うのです。

忌中に断捨離するということ

親の死の後に古いアルバムを見ると当然過去が蘇ってきます。意識が当時の自分へとワープします。まだ四十九日前ですから、きっと死んだ母もわたしと一緒にこのアルバムを見ていることでしょう。

この世での思い出を懐かしむのはいいでしょう。けれどもまたそれらをそのまま取っておくと魂の浄化を妨げるのではないかと考えます。上に向かってスーッと昇っていくのに、その思い、その未練が足を引っ張るように思うのです。

一旦懐かしんだ後は、綺麗さっぱりスパッと捨て去る。そして新たな道を行くために不要なものは手放す。中途半端にやらない。徹底的に捨て去る。でないと、また過去を引きずり同じことの繰り返しになるだけだから。

これ、自分に言い聞かせています。まだまだ一挙に捨てるはできていないわたしです。時間的なもの、体力的なものもありますので、段階を踏んで忌明けの4月中旬までにどこまで断捨離できているのか楽しみにしようと思います。

日々確実に写真が減っているのは間違いありません。これまで増えることもなければ減ることもない状態が20年以上続いていたのを考えますと、自分の中に風が吹き始めたなと思うのです。

親の忌中に写真の断捨離。あなたもそのタイミングが来たら考えてみてはいかがでしょう?ではでは今日はこの辺で~ ^^)/

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