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肝内胆管がんで死去した母から学んだこと

 2018/02/27 からだ こころ この記事は約 10 分で読めます。

お湯の沸く時間が大幅に短縮されたのがわかります。手を洗うお水も適温になってきて季節の移り変わりを実感しています。月末火曜のじゃすです、こんにちは。

私事で恐縮ですが、2018年2月25日に実母が永眠いたしました。当ブログ読者さまにも大変ご心配をおかけしていましたので、この場をお借りしご報告させていただきます。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

一昨年3月に肝内胆管がんを発症した母は、宣告を受けた地点で既に諦めていたようでした。それにより私自身もさまざまな葛藤がありました。

癌がわかった2016年の3月から10月頃までの私は、【だからあれほど気をつけてねと言っていたじゃない!】という怒りと、自分の力で母を回復させるんだという強い意気込みで必死でした。

これまでの経験と知識、そしてわたしの意志で母の癌なんて消してやる!と行動しまくっていましたね。体力も時間もお金も限界を越えて使いまくりました。

親が生死に関わる病気に侵された経験なんてもちろん初めてでしたので、今思えばやはり相当取り乱していたし、肩に力が入りまくりでした。

根本から全体を整えたかったわたし

わたしと正反対の妹が作るジャンクフード的な食事をしてきた母に、調味料から替えるよう食材を全てイチから購入し、取り揃えました。

無農薬無添加食品やアルカリ性食品、水や塩、味噌、醤油など根本から親に教えました。健康的な料理の仕方や、がん細胞を死滅すると言われている方法なども手取り足取り実践しました。

癌にまつわる本もアマゾンから次々に送りました。母は幸い本を読むのが好きだったため、送った本はすぐに読破して知識を増やしていきました。

実家に帰るたびに母の白髪染めもしました。これまでの美容室での髪染めをやめて、体内毒素を排出するオーガニックヘナを自宅でわたしが塗りました。

美容室に行かなくなったので、簡単なヘアカットもわたしがしました。母は椅子に座りながら感慨深くわたしに感謝していました。

母のためにドライブや外食にも行きました。運転が本来あまり得意ではないわたしでしたが、こんな非常事態そんなこと言ってられません。

毎週次はどこへ母を連れて行こうか、どんな健康食を食べさせようか、デートコースを考えるように下調べもしていました。地元の海に愛犬も同行で連れていきました。

母の笑顔や愛犬の喜ぶ姿を見た父親は、わたしが頑張っているのを微笑ましく理解してくれていました。これからも母に会いに来てやってほしいと言っていました。(父親は母を放って、好き勝手に遊びまくっていたくせにです)

わたしは非常事態に来て、ようやくこれまでできなかった親孝行が少しはできているんじゃないかと嬉しかったです。むしろ癌になったおかげで必死に親と向き合える時間ができたと感謝したくらいでした。

物置と化していた母の部屋の片付けも手伝いました。片付けをしなくなった母の部屋は本当にひどい状態で、簡単にはきれいになりませんでした。

癌になる前から片付けてねと何度も言っていましたし、食生活も添加物や野菜不足に気をつけるよう手作り弁当を持参したり、無添加惣菜を買っていったりもしていたのですが【大丈夫、あなた気にしすぎよ】とこちらの思いは届いていませんでした。そして今回の癌発症。心配していたとおりの結果がやってきたというわけです。

わたしの考えは健康とは食生活や養生だけではなく、環境や心も整ってこそ得られるものと理解していましたので、物置状態の母の部屋の片付けも必須だと考えました。

母が溜め込んだ不用品やゴミを週に何度も通って自宅に持ち帰り処分していました。これでもかというほど毎回ゴミや不用品が出て、さぞかし母も喜んでくれていると思っていました。

限界まで頑張ったのに結果は・・・

けれどもそれはこちらの勝手な解釈だったとわかりました。わたしが帰った後、同居の妹に【じゃすが来て、わたしのものをみんな持っていっちゃう】とか【ランチや海も本当は行きたくなかった】などと言うものだから、妹はわたしに激怒して一方的に絶縁を言ってきました。

ドライブ中、あれほど楽しくおしゃべりしていたのに。部屋も綺麗になって家のゴミも片付いて喜んでいたのに。父親もそんな姿を見守ってくれていたのに・・・。

自分を犠牲にして身も心もボロボロになって、お金も使い果たしてすっからかんになったわたしは一体何だったの?またわたしが一番損な役回りになったのねと落胆したのは一昨年の秋でした。

元々わたしとは性格が正反対の妹でしたから絶縁。結構じゃないのと思いました。そもそも妹が会社を興して家事をしなくなったしわ寄せが母の健康を奪ったのよと。しかも妹や姪のエゴで受け入れた外国人留学生たちの世話まで母に押し付けてきたのを知っているので、誰のせいで癌になったと思っているのよという怒りしかありませんでした。

頑張るのをやめて思いを手放した

その時わたしはやっと目覚めました。頑張れば頑張るほどうまくいかないんだとわかりました。なぜなら肩に力が入るからです。わたしが自分を犠牲にしてすることは、母にとって重く苦しいのだということ。

それが感謝されるどころか敵対視されるという正反対の結果を招いたのでした。これでは自分が可哀想過ぎる。もう頑張るのはやめよう。自分にエネルギーを向けようと切り替えました。

母はそもそも癌宣告を受けた3月の地点で生きるのを諦めたのですから、その意志を尊重すれば良かったのです。その年の秋からは週に何度も片道1時間以上車を走らせて通った実家には一切行くことはありませんでした。

わたしは半年間という短い期間でしたが、当時の自分なりに必死で母と向き合った。けれどもうまくはいかなかったという結果だけが残った。それだけのことです。自分の中でやりきったので悔いはない状態でした。

エネルギーを自分に戻したら

2016年秋以降のわたしは、春夏に抱え込んだひどい疲労感と愛車にいつの間にかついていたこすり傷、そしてすっからかんになった銀行口座に愕然としました。自分のことを考える余裕もなくただただ必死だったなとあらためて感じました。

ズタボロ状態だった自分にエネルギーを向けるべく、再び自分と向き合う学びを始めました。もう後がありませんでした。気づいたら地獄にいましたので、マイナスから始めなければなりませんでした。

自分にエネルギーを向けるよう意識し始め、行動をガラリと変えました。手応えを感じ始めたのはその年の年末辺りからでしょうか。

今後は一切頑張るのはやめよう。人を幸せにしたかったら自分を犠牲にしないで肩のちからを抜こう。まずは自分自身にエネルギーを送って自分との絆を作ってからでないと自分も相手も共倒れになってしまうと実感しました。

思いは現実を創る

母は親兄弟妹を癌で亡くしています。特にかわいがっていた妹を、若くして乳がんで亡くしたため【自分はガン家系だ】【自分も乳がんになりやしないか】と常々口に出して心配していました。

そのくせ、不健康な食事や不健康な生活、片付けや掃除を怠るなど一切の対策をしていませんでした。癌を心配するのなら、ならないための食生活や養生があったはず。心配だけしてガンにならないための行動が伴っていませんでした。

わたしからの忠告も他人事で、右から左に聞き流していましたね。癌になるかもという心配をする一方で自分だけは大丈夫という根拠のない変な自信。今思い起こしてもチグハグな母でした。

子供の頃から母の言う【大丈夫よ】は当てにしていませんでした。母の【根拠のない大丈夫】で何度も大丈夫じゃなかったことを経験していましたから。

そんな癌を心配していた母の思いと、わたしも母がこんなダメ生活してたら癌になるなという心配が一致して、一番招きたくない結果の癌を現実に創ってしまったのでした。

癌になった母からの学び

母は身をもってわたしに教えてくれました。それは心配事は現実化するです。昔聞いたお話に、有名レーサーの実話があります。

世界的な有名レーサーがレース中にヘアピンカーブを曲がりきれずに事故を起こし、亡くなったそうです。翌年その息子さんが同じコース同じヘヤピンカーブで同じように激突し他界されたとのこと。

あの場所で父が死んだ。だからあのカーブは気をつけなきゃ、気をつけなきゃ。そう考えた息子さんも同じ事故を起こしてしまうという現実。

思いや注意をどこに向けるのか?という教訓です。癌にならないかと心配ばかりしていると癌に意識が向いて癌を自分で創り出してしまった母。

例えばお金の悩みでも同じことがいえます。お金が無くなるという心配ばかりをしていると、お金のことにしか意識がいかなくなり破滅に向かっていく・・・。

毎日の思考、意識をどこにどう向けるのか。これがいかに大事かを教えてくれたと思います。反面教師というヤツです。そんな母に育てられたわたしですから、とかくそちらの思考になりがちですので今後も気をつけなければなりません。

こんな風に母のダメなところばかりを上げましたが、わたしの祖父は僧侶だったせいか一応輪廻転生(生まれ変わり)を信じています。母は来世でこの学びをリベンジしにまたこの世にやってくるでしょう。

実際、先月一週間の面会をした時にもそんな生まれ変わりの話を病床の母としました。母は小さな声で、今度はカタワレと出会いたいと話していました。

ちなみに父はカタワレじゃなかったの?と聞きましたら、【1/4ね】とよくわからない答えでした。^^;

一方でわたしは以前にも書きましたが、今のところは二度とこの世に生まれ変わりたくないと思っています。来世で再び母とご縁が持ちたいとかは考えていません。

親が他界した心境

2016年までのわたしは、親が死ぬとか、この世からいなくなってしまう、もう声が聞けないなどの状況は到底考えられないなと思っていました。悲しすぎて想像すらしたくない程でした。

子供の頃から父と母のいる家にいれば何の心配もないし、怖いものもない。両親に守られている安心感で本当に安らいだ暮らしをさせてもらいました。それが当然と慢心していました。

お金だって困った時は親が毎回工面してくれ、心底困ったことがなかったんです。でももう守ってくれる母はこの世にいない。

ここで悲観的になるのがこれまでのわたしです。けれども2016年末から始めた学びのおかげで、親の死を迎えたにも関わらず自分でも驚くほど淡々とこうしてブログを書いている・・・。

一方で母死去のタイミングと同時期に自分の進むべく道がスッと見えて来たのも事実です。ようやくわたし本来の人生を生きる時が来たと確信しています。

どこかで聞いたことがありますが、親の死に目で自分の使命がわかるというのがあります。まさにわたしもこの流れになってきたかと感じているのです。

姪っ子のフォロー

妹の娘である大学生の姪が昨年から入院した母(彼女にとっての祖母)の世話を毎日学校帰りにしてくれていました。彼女曰く、【バァバのところに来ないと、心配で夜眠れないのよね】と。

しばらく前に【このままバァバが死んじゃったら、わたしどうなるかわかんない】とわたしに弱音を吐いてきましたので、何でもいいからじゃすに吐き出せばいいよとメッセージしました。

ひとりっ子なので、親にもジィジにも言えない思いがあるのは当然です。わたしは他県にいますし家の内情を知っている近しい親族というのもあって、今後は彼女の心のケアが少しでもできればと考えています。

まとめ

今回は極めて私的な内容で、しかも訃報ということで読まれたあなたの心を重たくしてしまい申し訳ありません。自分に極めて近い人間関係ほど、重たい感情が貼り付いてしまうのはわたしだけではないでしょうね。

長文でしたが何かあなたのヒントになれば幸いです。ということで明日から帰省することになりました。正反対の妹や性格がひねくれてる父親に会う、マジ苦痛なのが本音です。^^;

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

二度と生まれ変わらなくてイイ方法とは

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